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ランディ・ローズ(Randy Rhoads)/エレキギタリスト名鑑

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新時代への可能性を示唆しながらも去っていった悲哀のギタリスト

出生:1956年12月6日
出身地:アメリカ カリフォルニア州ロサンゼルス郡 サンタモニカ
ジャンル:HR/HM、他
活動バンド:QUIET RIOT,OZZY OZBOURNE
主な使用ギター:ギブソン・レスポール、カール・サンドヴァル・カスタムV、他

おすすめCD

Blizzard of Ozz/OZZY OZBOURNE(’80年)

おすすめ動画

Crazy Train

略歴

オジー・オズボーンのバンドの初代ギタリストとして世界にその名を轟かせてから、僅か2年でこの世を去ってしまったランディ・ローズ。今も名を伝説的プレイヤーとして語り継がれている。

両親が共に音楽講師という家庭に育っており、7歳でギターを手に取っている。10歳になる頃には、当時習っていたギター講師から「教える事は何もない」と言われる程の腕前だったが、ランディにプロ・ミュージシャンになる気はなかったという。
しかし’71年、アリス・クーパーのライヴを観た事で衝撃を受け、ハイスクール卒業後に結成したクワイエット・ライオットで本格的な活動を開始している。ただし、ルックスの良さもあって地元カリフォルニアのクラブ・シーンでは人気だったが、レコード契約は日本でしか取れず、全米規模では無名なバンドに過ぎなかった(’70年代末に製作した2枚のアルバムは日本のみリリースで、現在に至るまでCD化されていない)。
その後’80年に、ランディにとっての運命的な出会いが訪れる。ブラック・サバスを脱退していたオジー・オズボーンのバンドへのオーディションを受けるチャンスを得たのである。ここでのランディのプレイは、酒とドラッグの影響で当時半引退状態にあったオジーにシーンへの本格復帰のためのモチベーションを取り戻させることになる。
こうして発表されたオジーのソロ1作目『Blizzard of Ozz』(’80年)において、ランディのフラッシーなテクニック、クラシックからの影響も感じさせられる哀愁のメロディ・センスが遂に世界に向けて発信された。

続く『Diary of a Madman』(’81年)でも魅力的なギターが存分にフューチャーされており、ランディは次代を担うヒーローとして脚光を浴びると同時に、オジーがメタル界の“帝王”に君臨するきっかけを作ったのである。

しかし、ツアー中の1982年3月19日。フロリダ州リースバーグにて乗り込んだ小型飛行機が墜落、ランディは即死。突然の悲劇は、その後長らくオジーの心に傷を残した。

関連書籍

書籍「ランディ・ローズ

(↓Amazonより引用)
1982年の悲劇から、今もなお、そしてこれからも語り継がれる唯一無二のミュージシャン。
「ギター制作秘話」「レコーディング時の様子」「オジー・オズボーン・バンド脱退を決意した理由」など、さまざまなエピソードが盛り込まれた、ランディ・ローズ初の本格的バイオグラフィー。

当サイトで紹介したランディ・ローズの名曲

Dee(ランディ・ローズ)
手癖的なロックっぽいフレーズをちりばめながら優しいハーモニーが魅力の名曲! 曲名:Dee楽器:クラシックギター(solo…何本かダブルトラックしてあります。)演奏者:ランディ・ローズ(Randy Rhoads) 収録CD:「Blizzard...

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