エリック・クラプトン(Eric Clapton)/エレキギタリスト名鑑

記事内に広告が含まれています。

ブルース・ロックの歴史を塗り替え、波乱の人生を送る“スローハンド”

出生:1945年3月30日
出身地:イギリス サリー州リプレー
ジャンル:ロック、ブルース
活動バンド:THE YARDBIRDS,CREAM,solo,他
主な使用ギター:フェンダー・ストラトキャスター、ギブソン・レスポール、ギブソンSG、ギブソン・エクスプローラー、他

おすすめCD

Wheel of Fire/CREAM(’68年)

「White Room」を収録したスタジオ盤とクリームのパフォーマンスの凄みを体感できるライヴ盤の2枚組からなる3rdアルバム。

おすすめ動画

Layla

略歴

’63年にヤードバーズに参加して以来、カリスマ的ギター・ヒーローとして常にロック・ギターシーンをリードしてきたエリック・クラプトン。

その生い立ちは複雑で、母のパトリシアは当時未婚の16歳で、実父は英国に駐留していた既婚のカナダ兵だった事からクラプトンは祖母に預けられ、祖母の再婚相手の子供(実母とは異父兄弟)として育てられるも、実母はすぐに別の男性とドイツで結婚。この事が長い間、クラプトンの心に暗い影を落とすことになる。

音楽に興味を持つようになったのは15歳上の叔父(戸籍的には兄)が聴いていたビッグ・バンド・ジャズに馴染んでいたからで、10代になるとラジオから流れてくるスキッフルやロックンロールに夢中になり、祖母に買ってもらったアコースティック・ギターを手にしたことで、ギタリストとしてのキャリアがスタートする。

’60年代初頭、ロンドンのパブやクラブ・シーンではR&B、ブルースが主流で、クラプトンもブルースにはまっていく。最初に参加したバンドは、アートスクール時代の友人に紹介されたルースターズだったが、半年程で解散。その後しばらくリヴァプールで活動した後にロンドンに戻った時、ザ・ヤードバーズからオファーがあり、正式メンバーとして参加したことで大きな転機を迎える。

クラブでブルースを演奏するヤードバーズに興味を持ったジョルジオ・ゴメルスキー(プロデューサー/マネージャー)とマネージメント契約を結び、ヤードバーズは念願のメジャー・デビュー。全国規模のツアーを行ないバンドの知名度が上がっていく中、利益効率を考えたゴメルスキーはより多くの音楽ファンにアピールするヒット曲をバンドに求め、3rdシングルに用意したのが「For Your Love」(後に10CCで成功するグレアム・グルードマンの曲)だった。

そんなゴメルスキーのやり方に不満を抱いていたクラプトンは、曲が全英3位とヒットしたにもかかわらず潔くヤードバーズを脱退。
その後、よりコアなブルースを追及すべく、当時の英国ブルース・シーンでカリスマ的な存在だったジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズに参加。
そこで制作した『JOHN MAYALL & THE BLUES BREAKERS WITH ERIC CLAPTON』(’66年)は、ロック・ギター史に残る必聴盤としていまだに高い評価を得ている。

その後、クラプトンはブルースにこだわることなく、より幅広い音楽性と自らのギター道を追及すべく、’66年に史上最強のロック・トリオ、クリームを結成する。クリームの魅力は、3人のアドリブの応酬によるスリリングなライヴにあり、『Wheel of Fire』(’68年)等で聴ける3人のバトルは、伝説となっている。

しかし、3人が対等な立場でぶつかり合う、基本はセッション・バンドだったため長続きするわけもなく、’68年に解散。
クラプトンは当時スーパー・グループと呼ばれたブラインド・フェイスをトラフィックのスティーヴ・ウィンウッド等と結成する。
この頃から、ドラッグとアルコールに浸るようになるが、ブラインド・フェイスの全米ツアーで知り合ったデラニー&ボニーの影響で、米南部の音楽の影響をストレートに打ち出したデレク&ザ・ドミノスを結成。同バンドが解散した’71年以降は隠遁生活を送るようになる。

リハビリを続けてドラッグとアルコールの呪縛から解放されたクラプトンは、レインボー・コンサートを経て完全復帰したのが’74年の『461 Ocean Boulevard』で、当時は“レイドバック”というキャッチフレーズが話題になった。

以降、’91年には盟友ジョージ・ハリスンの日本のみのツアーをサポートするなど、マイペースなソロ活動を続けていくが、大きな転機になったのが息子の事故死の鎮魂歌として作った「Tears in Heaven」(’92年)だった。

このヒットをきっかけに、それまでのギター・ヒーローからシンガー・ソング・ギタリストにイメージを変えて幅広い人気を確立。

また’04年にはロバート・ジョンソンのカヴァー・アルバムをリリースし、自らの音楽の原点であるブルースに対する強いリスぺクトの気持ちを表したり、’05年にはクリームを再結成、’08年にはウィンウッドとの共演ツアーでブラインド・フェイス時代の曲を中心に演奏するなど、近年はキャリアを総括するような活動が目立つ。
とはいえ、現在も枯れた味わいとエモーションが同居する円熟味溢れるプレイは健在だ。

関連書籍

書籍「エリック・クラプトン全記録

生い立ちから、ヤードバーズ、クリーム時代、ソロとしての活動までを完全網羅。
コンサート、ギター、ポスターなど、400点を超える豊富な写真も掲載されています。

←エレキギタリスト名鑑一覧へ戻る

コメント

タイトルとURLをコピーしました