ファンクとロックを融合させ、先進的な音楽表現を追求する孤高の天才
出生:1966年9月20日
出身地:ポルトガル アゾレス諸島
ジャンル:HR/HM、他
活動バンド:EXTREME,MOURNING WIDOWS,solo,他
主な使用ギター:ワッシュバーン・シグネチュア・モデル、ギブソン・エクスプローラー、他
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Get The Funk Out
略歴
ヨーロッパ大陸の西南端、イベリア半島西部に位置するポルトガルで、ヌーノ・ベッテンコートは生まれた。10人兄弟の末っ子だというからかなりの大家族だ。その一家は、ヌーノが4歳の時にアメリカのボストンへ移住。そこで音楽活動を続けることになるが、’02年からは生活のベースをL.A.に移している。
ボストンでの子供時代、まず接した楽器はドラムだった。その後はベース、最後にギター。ファンク感覚を好むヌーノにしてみれば、この楽器選択順は至極自然なことだったのかもしれない。
そんなヌーノがシーンに登場したのは、’89年に1st『Extreme』を引っ提げて。L.A.メタルの熱がまだ冷めていない時期、東部独特のビートを肝にするエクストリームに対して、一部から支持はあったものの、概ね反応は冷ややかなものだった。
それでも頑なにL.A.メタル“No”の方針を曲げなかったエクストリームは、時代の流れも味方に付け、翌’90年の2nd『Pornograffitti』でブレイク。収録のアコースティック曲「More Than Words」が全米No.1を獲得し、それを追い風に「Get The Funk Out」等でエクストリーム本来のファンクを強烈にアピール。人並み外れたテクニックを軽くこなすヌーノは、プロからも注目される存在となった。
しかし4作品を残してエクストリームは解散。ヌーノは、その直前から進めていたソロ作品『Schizophonic』(’97年)をリリースした後、モーニング・ウィドウズを結成し2作品を出すが、メンバー間の行き違いで空中分解してしまう。
その反省からか、’02年にはメンバーを固定しない“ヌーノ+α”というプロジェクト:POPULATION1を立ち上げて、2枚のアルバムを発表する。’05年には、エクストリームの限定再結成ツアーを間に挟み、ドラマゴッズ名義で『ラヴ(LOVE)』を発表、’07年にはペリー・ファレルズ・サテライト・パーティの『ウルトラ・ペイローデッド』にも参加するがいずれも軌道には乗らず苦渋を舐めることになる。
しかし、’07年の暮れにはついにエクストリームの正式な再結成を宣言し、翌’08年には通算5作目となる『Saudades de Rock』をリリースし、ツアー共々好評を博した。
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